Internal Medicine(旧Annual Session)

2006年度(Philadelphia)

Philadelphia 2006

自治医科大学臨床薬理学 大島康雄

 

はじめに

 多くの先生方は論文の著者の名前の後にMD(医師)やPhD(博士)のほかにFACPとかFRCPなどの称号を目にしたことがあると思います.FACPとは何のことでしょうか.2006年4月に米国内科学会へ参加し,同時に開催されましたFellow(フェロー,“上級会員”と訳されることが多いようです)授与のConvocation Ceremony(学位授与等の式典)に参加いたしましたので,いきさつの一部をご報告させていただきます.
 欧米の学会では学会員の中で,何らかの功績を示した会員にフェローという肩書きを授与する習慣があります.アメリカの内科医で米国内科医試験(ABIM試験)に合格したものか,それに準じた者が入会できる米国内科学会(ACP/ASIM, American College of Physicians / American Society of Internal Medicine)という団体があります.このACP/ASIMのフェローがFACP(Fellow of American College of Physicians)という称号を使うことを許されます.

Fellowを目指したいきさつ

 僕がまだ米国留学中の2000年春に,徳島大学の板東浩先生と僕の出身医局であります九州大学第一内科の先輩の浅野嘉延先生(現国家公務員共済組合連合会千早病院 内科医長)が米国NIH(national institutes of health)の案内をしてほしいと連絡を取ってきました.フィラデルフィアである会合に出席した後,ワシントンDCのホワイトハウス近くのホテルに宿泊するということでした.ホテルまで車で迎えに行き,お二人をピックアップして僕の留学先のFDA(food and drug administration)が併設されていますNIHへ向かいました.ワシントンDCの桜を案内せず研究所まで直行したように覚えていますから,まだ桜の咲く前の時期だったのでしょう.NIHベセスダキャンパスではMedlineを開発したNLM(National Library of Medicine)・ナッチャービルディング・ビザに必要なIAP66(当時)を発給してくれたフォガティー・インターナショナル・センターやMLPといわれる高層駐車場など周辺施設から始まり,施設外観を車で案内いたしました.まさに研究を行っている,ラボの風景自体は国内の多くの研究所ともそうかわったところはないのかもしれませんが,研究の周辺の裾野の広いバックアップ体制に付き感心していただいたようでした.最後にビルディング10(通称ビルテン)の地下の食堂で簡単な食事を一緒にいたしました.両先生方がその前日に参加された会合で,米国内科学会の上級会員へ昇格したというお話を伺い,その仕組み等をご説明いただきました.国内ではあまり知られていないが,日本にいて臨床をしながらでも米国内科学会の上級会員の資格を得ることは可能であるということでした.
 研究所からホテルまでの帰りの道は世界銀行に対する政治的なデモンストレーションに巻き込まれ,ホテルに近づくことができなかったように覚えております.後で聞いた話では翌日の帰国時にもデモは盛んで,ホテルからタクシーに乗ることはできたが,タクシーの運転手さんが盛んにデモの関係者や警備関係者に状況を説明して空港に向かったということでした.

学会入会

 帰国後の2001年秋口に留学中に浅野先生らから伺った話をふと思い出し,自分自身がこのAmerican College of Physiciansに入会できるのかどうか念のため確認してみました.日本内科学会の認定内科専門医を有することがABIM合格に相当する内科診療における知識と経験を有すると見なしていただけるということでした.英文履歴書と2名のFACP(フェロー)の推薦状と1名の所属支部のGovernor(ガバナー)のエンドースメントが必要であるとのことでした.エンドースメントについては,米国留学経験のある方はピンとくることがあると思いますが,自分宛の支払いでパーソナルチェックと呼ばれる小切手をもらったときに,裏側に小切手をもらったヒトもサインをします.(チェックを振出すヒトは表側にサインします.)この裏側のサインをする欄にエンドースメントと書かれています.このエンドースメント(サイン)をせずに小切手を自分の口座宛に入金しようとすると,“エンドースメントをしてください”と送り返されてきます.日本の小切手を扱ったことがないので仕組みは異なるかもしれませんが,“小切手の裏書き”という言葉に近いのではないかと思います.
 他の先生方の入会のいきさつ等をお伺いすると,しっかりとした目標意識があり,医療に対する哲学をお持ちであったりと,立派でうらやましい限りなのですが,僕にとっては,“道が閉ざされていないのでその先に何があるか解らないけれども面白そうだから入ってみよう”という,気楽な感じで入会を決意しました.浅野先生など以前から知り合いだった先生がFACPになり,海外の式典まで参加されてこられていたという点は少なからず僕の意思決定に影響を及ぼした様に思われます.
 FACPの推薦状は出身医局の大先輩の石橋大海(現:国立病院機構長崎医療センター,センター長)と浅野嘉延先生にお願いしました.お二方とも僕が入局いたしました当時の医局のスタッフで僕が医者としてよちよち歩きの頃から見守ってくださっていたこともあり,非常に暖かいご声援をいただきつつご推薦状をいただくことができました.問題はGovernorのエンドースメントです.日本支部(Japan Chapter)のGovernorは黒川清先生(東海大学総合科学技術研究所/東京大学先端科学技術研究センター 教授)です.過去に一度もお会いしたことのない先生にこうしたお願いをするのには多少勇気がいりましたが,日本内科学会の関係者の方々のご協力を得て,書類を提出して2002年9月に無事メンバーになることができました.
 尚,現在では内科学会の認定する認定内科専門医を保有している方はFACPの推薦状なしに入会申請できます.

フェロー昇格の手続き

 2004年の年頭には入会からの期間もほぼFellow昇格を申請するのに充分だろうと思い再度活動を開始しました.この時期はちょうどACP日本支部(Japan Chapter)が動き始めた時期であり,世話人となった先生方がシステムを組み立てつつ,日本支部理事会に承認を受けるという仕事をされていた時期だと後ほど知ります.
 Fellow昇格にはまず,地方支部の長の推薦状(日本語)をもらってください.とのことでした.ここで内科専門医会の栃木県の世話人の岡崎仁昭先生(自治医科大学内科学講座)にご挨拶に伺いました.そこで,岡崎先生からは自分はその推薦状を書くべき立場にはないのではないかとの指摘を受けました.推薦状を書くべきなのは関東支部の代表の畠清彦(癌研有明病院化学療法部)ではないかということでした.そこで,今度は畠先生にご挨拶させていただきました.畠先生自身もこの推薦状を書く立場にあるとは認識されておられなかったようですが,内科学会の方に確認したところ推薦状を書く立場にあるとのことでした.つまり畠先生に推薦状を書いていただけることとなりました.そのまま書類の作成を開始し,ACP Fellow昇格の手続きを進めようとしたところ,宮本晴子さんから手続きを一時中断する様に連絡が入りました.2004年4月の理事会でFellow昇格の手続きを整理して規約化する動きがあるため,確定するまで待ってほしいとのことでした.
 2004年4月20日昇格手続きについて変更があるからと案内が来ました.手順は6段階になっているとのことでした.明確で何をどういう順番に行ってゆけばよいか的確にまた,だれに推薦をいただければいいかなども個人名入りの案内でした.
 STEP2で関東支部の推薦者は米倉修司先生に変更になっていました.タイミングが悪く畠先生のご推薦は無効になりました.米倉修司先生にお願いし,ご推薦をいただくことができました.以降の手続きは淡々とすすみ,無事申請を終えました.このときにも関係のない先生方を巻き込んでご迷惑をおかけしながら手続きを進めさせていただきました.手続きが終了し2005年1月に無事FACPへ昇格いたしました.

渡米の準備

 2005年セレモニー参加は見送りましたが,2006年再度招待をいただき,セレモニーへ参加することとしました.“Invitation”ということで交通費宿泊費も出してもらえるのかなと期待しながら,書類に目を走らせます.セレモニーへの参加は無料で,学会へ参加する場合は学会参加費を払うことになっていました.交通費や宿泊費に関しては何も記載がありません.ようするに式典参加費のみ無料ということでした.参加の意向をホームページから送信し,身長・体重・頭のサイズ等を入力します.なぜサイズの入力があるかといいますと,式典ではレガリアと呼ばれる黒いガウンに出身大学のスクールカラーの肩掛をかけて,黒くて四角い帽子をかぶります.角帽の中央には黄金色に輝く紐と房が取り付けられます.ちなみに貸衣装代($50)はFACP開始に関わる費用としてすでに支払った代金の中に含まれていたとのことでした.
 式典のホームページへ入力しながら,スクールカラーの項目まできてはっとしました.虚をつかれたような項目に一旦入力を中断しました.僕自身卒後16年になるのに自分の出身大学のスクールカラーを知らなかったことを恥ずかしく思いました.同時に,めんどくさいことを記入させる物だとちょっとムッとしました.一応念のため九州大学に電話をして確認したところ,ワインカラーという茶系の濃い赤だということでした.創立百年を超える大学の伝統のカラーがいつ頃どのような経緯で誰が決めたのか,気になりましたので後で調べてみました.大学のホームページにはその詳細な経緯の記載はなかったものの,承認は2003年3月3日で理由としては,“従来この系統の色が使用されている”からだとのことでした.
 さて,いよいよフィラデルフィアが現実的になった2月末,飛行機の予約を開始しました.取りかかるのが遅かったためか,座席の確保には苦労しました.調べてみると,3種類くらいしか選択肢がありませんでした.フィラデルフィアまでカナディアンエアー利用が4万円と最安値だが,フィラデルフィア着が真夜中の23:50頃.さすがにアメリカで真夜中着は危ないだろうと心配になりカナディアンエアーは却下しました.コンチネンタルのヒューストン経由はカナディアンエアーに次いで安価だが,帰りの便がキャンセル待ちとのこと.キャンセルが出なかったら帰国できないとの説明に,やはり却下しました.ここまでは航空券代金5万円以下でフィラデルフィア往復ができるのですが,次に安価なノースウエスト利用だと,フィラデルフィア着は21時前でまだ許容範囲か?と思われましたが,航空券代金7万円近くなります.(どの便を選択しても,この額に燃油特別付加運賃・出入国諸税・週末料金・成田空港施設使用料の3万円が加えられた上で消費税が加算される)ほかの選択肢はないか旅行会社の方とお話をしていると,フィラデルフィアではなくリバティー国際空港着の便の提案がありました.値段は4.3万円でカナディアンエアーと同程度.値段以外にもノースウェストより行程が5時間短い,カナディアンエアーに比較すると9時間くらい短い,乗り換えなしの直行便であるとのこと.ただしフィラデルフィア国際空港からホテルまではタクシーで往復$40だが,リバティー国際空港からはアムトラックという鉄道で時間は1時間程度かかり,お値段は$100程度になるということでした.リバティー国際空港行きの便に決めました.リバティー国際空港は,あの9.11同時多発テロのときに,ペンシルベニア州ピッツバーグ郊外に墜落したユナイテッド航空93便が飛び立った空港です.同機操縦室内で,一部の乗客がテロリストと格闘したエピソードが知られています.“国家的な悲劇に立ち向かった英雄らをたたえる”(ジェームズ・マクグリービー ニュージャージー州知事)ためにこの“リバティー”の名前が空港に与えられたとの事です.

 

フィラデルフィアへ

 ただでさえらくちんな直行便が,予定より1時間近く早く目的地へ着陸しました.気持ちの上でも余裕を持って入国審査をすませ,アムトラックの駅を目指しました.リバティー国際空港からアムトラックの駅まではエアトレインという,無料のモノレールで結ばれていました.ほぼ空港内の乗り換えという感覚でアムトラック駅のプラットフォームまでくることができました.券売機にクレジットカードを通すと,インターネット経由で予約していた列車の券が出てきました.列車がくるまでは2時間弱の時間がありました.同駅はアムトラックの他トランジットという,アムトラックより安価でニューヨークの都心までつながる路線が共有していました.待っている間数分―十数分ごとに列車が行き来するという,かなり繁盛している路線でした.
 いよいよ目的のアムトラックがやってきました.アムトラックでは最も安いCoachクラスに乗りましたが,大型の荷物を置くスペースも設けてあるなど長距離の旅行者が利用することが前提となった作りでした.列車に乗り込むと,空席は結構あったのですが,多くのお客さんは荷物を座席の上においていて“隣に来ないでほしい”意思表示をしていました.座るところがなくうろうろと探していると中年女性で太った車掌さんがやってきて,大きな声で何か叫んでいます.その声を聞いてみんな座席の荷物を網棚の上か自分の膝の上に移しました.“どこでもお好きなところへどうぞ”とのことでしたので,さっそくコンセントのついた座席に座りました.座席の広さはJR宇都宮線のグリーン車の座席より広く,背中に当たるカーブも心地よく実に快適でした.僕の乗った車両には2席に1つAC電源がとれるタップがついていて,分岐できる延長コード等さえ準備すればどの座席でも電源を気にせずパソコンを使ったりできる作りになっていました.僕も長旅ですっかり電源を消耗し尽くしたiPodを充電しつつ,Podcastを聞くことができました.快適なシートと時差ぼけもあってぼんやりとしていると頭の上で先ほどの車掌さんがフィラデルフィア〜〜と大きな声で叫びました.いつの間にか眠っていて,乗ってからあっという間に1時間経過していました.車掌さんはチェックインのときにチケットの半券を切って,座席の上の網棚のホルダーにさしていたのです.その半券でその客がどこで降りるかを通路を歩きながらの目線で容易にチェックできます.そして降車駅が近づいた客が寝ている場合には目覚ましまでやってくれるという仕組みのようでした.

Convocation Ceremony

 自分自身の発表のない学会への参加というのは過去になかったためか,気楽に学会に参加することができました.式典当日は3時過ぎに会場へ行きました.受付をすませて,1階の着替え室の方へ向かいました.そこには既に大勢の新しいフェローたちが着替えをしている最中でした.レガリア一式を借りるのに名前をいうとすぐに出してきてくれました.スクールカラーを例えば赤と指定していたのに青が出てきたと言った具合に,いい加減に扱われるという噂を聞いていましたので何色が出てくるのか内心わくわくしていたのですが,これも期待はずれで指定した色がちゃんと準備されていました.着替え室の隣で写真を撮影していましたので,書類に必要事項を記載して列に並びました.一番小さいもので2ポーズ撮影して$200でした.記念撮影だから仕方がないかとあきらめてチェックで支払いました.先生によっては大きな金の枠のついた額縁に入った写真などを含め何ポーズも撮影され総額$1000以上を支払っているようでした.写真撮影は行わない先生も少なからずおられました.ご家族で集合写真を撮影されている先生もおられました.撮影している部屋の隣の部屋でまずは化粧の粉を塗られました.レガリアの端の方をピンのような物で固定したり,レガリアの下に来ていたシャツの袖をめくり,シャツのカラーを裏側にひっくり返して見えないようにされて,列に並びました.カメラマンは‘スマ――イル’‘スマーイル’と被写体に語りかけ,たくさんポーズをとらせてます.一人(1家族?)に10分以上かけてとっているようでした.式典が6時半からなのに,6時近くなってもまだ順番が回ってきませんでした.さすがに式典前に順番が回ってくるような気がしなくなり,写真の列から抜けて式典の控え室ある2階へ移動することにしました.
 日本支部(Japan Chapter)では新しいフェローに5時に集合をかけて,集合写真を撮影するということでした.僕はこれに1時間も遅れた上に,自分の個人写真も撮れないままのちょっと残念な気持ちで式典を待っていました.控え室では衣装こそレガリアに身を包んでいるヒトだらけで普通とは違う雰囲気が漂っていましたが,整列する訳でもなく,みな好き勝手に雑談をして過ごしていました.Japan Chapterは雑談にかまけて気がつかずにCanada Chapterの領土まで進出して,座席を占拠したりしていました.カナダの先生は人がいいのか少し離れたところに控えてその様子を見ておられるようでした.いよいよ式典が始まるときになって,控え室の整理をしているおばさんが慌ただしく動き始めました.“帽子のひもを右にたらして!”,“一列になって!”おばさんの近くのヒトにしか聞こえていなくて,何となくゾロゾロと固まりで動いたり,入り口近くでは2列に並んで行進している支部も見えました.
 会場に入ると,だらしない控え室とは打って変わって荘厳な雰囲気でした.ブラスアンサンブルの重々しい演奏を聴きながら,一歩一歩感激を踏みしめながら入場しました.曲はだいたいバロック前後の有名な曲ばかりで楽しく聞くことができました.下手ではないがプロという感じではない演奏を聞きながら,“そういえば高校・大学のときに式典での演奏のアルバイトをしていたなぁ.”,“僕のバイトの対象はこんな荘厳系ではなく,企業の運動会・青年会の集会・公園のオープニングセレモニーとか,太陽が照らす元気系の式典ばかりだったな”などと懐かしい気分にもひたりました.
 会場の自分の席に到着し,周りを見渡すと,まわりは皆レガリアを身にまとい,角帽をかぶっていて,儀式の雰囲気満点です.昔映画で見たカリオストロの城の結婚式シーンのようでした(絵的にはかなり違うんですが,思い出したのはそのシーンです).式典では,舞台の上の先生がヒトの背丈ほどもある金色の装飾された杖をふり,何かしゃべっています.舞台の上に並んだ新Masterの名前と学会や医療への貢献を一人一人説明しています.英語もそれほどわかる訳でもなく,知り合いが出てくる筈もないので,聞こえるだけ聞いとこうというつもりで耳を傾けていましたが,最後に紹介されたヒトはワシントン特別区からドクター,ニール・ヤングでした.あのニール・ヤングか?と思い式次第書を取り出してみると,やはりNHLBI,NIHのビル10でよく遊びにいっていたラボのチーフのニール・ヤング先生でした.(ラボに遊びには行っていましたが,この偉い先生と顔を合わせたことはなかったです)ACPのなかでは血液学教育の委員をして学会へ貢献したとのことでした.紹介が終わると新Fellowが起立し,みなで宣誓文を唱和し,帽子に取り付けられた房を右から左へ移動させて,一連の儀式が終了しました.だいたい1時間半程度の儀式でした.
 儀式の終了後,再び控え室へ戻ってきて,ほとんどの新Fellowはレガリアを脱ぎ始めていました.僕は荘厳な儀式の感激が覚めやらないうちに,写真撮影の伝票をポケットから取り出し,再び写真撮影の部屋の有る1階へ向かいました.まだ写真撮影の行列はありましたが,式典前よりはすいていました.式典の前に撮影しなくてよかった.式典の前には感じる物がなかったけれども,式典直後の今なら何らかの感動を秘めて写真を撮影してもらえると感じました.出来上がった画像上の差があるかどうかわかりませんけれど,心からそう思いました.この原稿を書いている時点ではまだ写真を見ていませんが,すごく楽しみにしています.値段のことよりも,もっと大きくて立派な額に入った物を注文すれば良かったかなと反省しています.良い思い出になりました.
 会場では,“あなたの先生の名前の後にFACPの文字があるばあい,これはどういう意味でしょうか?”のタイトルのフライヤーを配っていました.“ACPが学会の名前で,Fellowはその上級会員で,社会に貢献した偉い先生だ.FACPの文字列のついた先生はそうでない先生とは別格で,この文字列のついた先生は医学の勉強を続けており,絶対的に信頼していい.”などなど,こそばゆいほどFACPを持ち上げる内容でした.誰でもすぐになれるような物でない資格については,このくらいのパンフレットを一般にも配って社会的認知を推進するのも悪くないのかなとも思ってみました.
 その後学会場のコンベンションセンターと,空中渡り廊下でつながったホテルで,インターナショナルチャプターの懇親会がありました.一部の先生方とお話する機会がありましたが,皆さんいろいろな点に感心されていたと思います.その場でお話ししていて僕が感じた部分は周辺の裾野の広さといいますか,第一線で活躍する臨床の先生をサポートする機能が有る点に感じる物がありました.いろいろな領域をカバーする必要がある,忙しい臨床の先生がご自分でいろいろな文献を深く読み込みそれぞれに精通することを期待するというのは難しい時代であろうと思います.勉強する機会を作る上で,内科学会等の様に認定医/専門医の再認定のために点数制を採用して,学会へ参加するように誘導するというのはそのサポートの仕組みの一つと捕らえることができます.米国では例えばCMEの点数を集めるということになります.地域で診療を行うための登録にCMEが必要とも伺っています.CMEの点数は広いメディアで提供されており,雑誌の後ろについているような臨床クイズに答えて点数をゲットするとか,インターネット経由でレビューを読んだうえで,その内容に即した問題へ回答して点数を得る.購入したCD問題集の回答をして点数を得る.等です.内科学会でもビデオやセルフトレーニング問題などの選択肢を準備していますが,ざっと見た感じでもメディアの幅広さや注文できる対象の量が段違いのように思いました.インターネット経由でトレーニングを行う物に関してはいくつか試したところでは利用者はcertificate発行まで無料でした.もう一つ目についたのが,その問題についてアンケートに答える様になっていることです.問題の質はどうかということについて情報収集しています.そして“これらの提供はどこぞの企業で,内容は誰著で,資金の提供はどこかの製薬会社から,”と明記されています.この提供企業の実態はよくわからないのですが,特定の学会にのみ利用できる点数を提供しているのではないことは確かです.民間の企業がレビュー記事や問題作成をその領域に詳しい先生に依頼する場合はそれなりの対価を支払っているでしょうし,記事や問題の評判もユーザーから情報収集し,企業が主体になって常に問題作成者である先生を取捨選択していることは充分考えられます.学会の問題作成委員・編集委員の先生方であれば,多少内容に難があると周りが薄々感じていても誰も簡単には取捨選択できないでしょう.その場に存在して,同じ様に仕事を分担されているというだけでも十分貴重で尊敬に値しますから.利益の衝突の起こりうる点については抑制する仕組みや,利用者が目にする機会を作る必要はあると思いますが,選択肢の幅を広げるという意味では民間主体のこうしたサポート体制は興味深い物があります.
 尚,今のところ日本支部からのFACPは米国のCMEの点数を集める必要はありません.日本内科学会が深く関わっているおかげで認定内科専門医を維持していることで,CMEを米国内で集めているのと同等と見なしてくれていると理解しています.

さいごに

 今回の学会参加にご協力いただきました関係者,ACP入会時またFellow昇格へご推薦状をいただきました石橋大海先生,浅野嘉延先生,Fellow昇格へのご推薦をいただきました米倉修司先生,エンドースメントをいただきました黒川清先生,幻となったご推薦をいただきました畠清彦先生,勘違いで押し掛けていってご迷惑をおかけした岡崎仁昭先生,事務局として直接関わっていただきました,宮本晴子様,杉山弘様,そのほかACP/ASIMと内科学会の緊密な関係を築きあげるのにご尽力をいただきました先生方・事務局の方へ感謝の念を表します.